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気付いたら23歳(遠い目
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連邦歴1001年2月6日

軽巡洋艦エーリンクは割り当てられた積荷を受け取り、静かに港を離れた。レンズ動力と機関長の熟練した技術、両方が揃って初めて可能になる緩やかでいて無駄のない加速である。彼女が周囲へ発した唯一の音は出港の合図である汽笛だけだった。

その残響に耳を澄ませながら、ブルーノ・ヨハンソン主計中尉は自分の仕事の大半が大過なく終わったことに内心胸を撫で下ろしていた。弾薬や燃料、生活用品などの補給物資と割り当ての積荷を過不足なく受け取り、これを事務方として管理するのが彼の役目である。つまり、一番の山場は積み込み時と言う訳で海に出てしまえば仕事は殆ど済んだと言って良かった。万一戦闘になったとしても艦の存亡に関わる仕事は無く、艦橋の指揮所にいて戦闘記録を付けるだけである。もっとも彼の戦闘時の仕事場は艦の中で最も危険な場所の一つであった為、ヨハンソンは常に自分の船が戦闘に巻き込まれることにならないようにと祈っていた。

海軍軍人が自らの艦が戦わないことを望む、と言うのはおかしいようにも思えるが実際の所は誰もがそう思っている。誰だって死にたくはない。加えて、彼はこの艦に乗っている水兵や海軍将校達とは異なり生粋の職業軍人ではなかった。短期現役士官制度で二年間海軍士官として奉職しているだけの一般的な若者である。タウラゲ州北部の港町で中流階級の次男として育った彼はスヴェリエ地方屈指の名門と言われるテルシェイ州連邦法科大学を卒業してすぐ、在学中に申請していた短期現役士官制度の適用を受け海軍主計中尉として任官した。一介の水夫から身を起こし海運会社の幹部となった父から海で経験を積む事を勧められたのだった。例え短くとも軍人としてのキャリアを持つことはその後の人生を有利にするとされていたのだ。

海軍側としては短い期間でもヨハンソンのような高い事務処理能力が期待できる人材を確保できることは有益だった。歴史的、地理的な理由から陸軍に比べて発言権と予算規模が小さい海軍は事務方の士官まで養成する能力を保持できなかった為、優秀な文系学生を軍歴で釣るという手段を用いたのだ。これは第一次北部内乱直前に不足する海軍士官を補う目的で作られた制度だったが概ね評判は良く、連邦政府の小さな海軍を支える力になっていた。中には海軍が性に合ったのかその後も軍に残り出世した者もいる。第二次北部内乱の一大作戦「カレリア上陸」を指揮したラウル・アルフォンソ提督などは主計科から砲術科に移り中将まで進んだ変わり種として知られていた。

勿論ヨハンソンは教範で見た英雄と同じ道を歩むつもりはなかった。地元の商社が幹部候補として彼を迎えようとしてくれていたし、教授を補佐する研究員として母校に戻らないかという話もあった。今年の8月には予備役に編入され、平和な世の中で軍に呼び戻されることのないままエリートコースを進むはずだった。彼がそれを諦めたのは一カ月ほど前のことだった。

12月26日未明、第二次北部内乱で活躍した若手将校らがクーデターを起こし、天上都市を奪取。数日後にはタウラゲ、クルガン、アリートゥスの三州主要部はクーデター軍―彼ら自身は天上軍を名乗っていた―の手に落ちていた。連邦軍がまともな抵抗を行えるようになったのは年が明けてからだった。政府は未だ混乱の中にあったが、軍は防衛線の構築を急ぎ、孤立した白海沿岸地域から可能な限りの物資人員の引き揚げを行おうとした。

エーリンクの所属する海軍西海艦隊が北洋に派遣されたのはそのためだった。タウラゲ州北東部に突き出たユルバルカス半島、タウラゲ州駐屯のヴォアゾン隊を始めとするクーデターに同調しなかった部隊、行政組織、企業らはここに逃げ込んでいた。半島西側最大の港であるスマリ港には民間から徴発した小型商船も含めて数百隻が殺到し、彼らを大陸の逆側へと逃がす大作戦が実行されているところだった。幸いなことに天上軍への帰属を明らかにした白海艦隊は姿を見せなかった。西海艦隊に比して規模が小さい白海艦隊は消耗を恐れ白海の奥、クルガン州の軍港から動いていないようだった。

「やれやれ。海戦だけはしなくて済みそうだな。」
「ええ、ほっとしています。」

艦橋の中央、艦長席からの声に対して反射的に答えたヨハンソンの表情は愛想笑いと苦笑いとが相半ばしていた。30代の若い艦長はこの主計中尉を見所のある奴だと感じているらしく良く声をかけてくれるのだが、万事に控え目なヨハンソンはどうも対応に困っていたのだった。だが同時に半人前として現場では好感を持たれないことも多い短期現役士官を大事にしてくれる艦長と言うのがありがたく珍しいものだということも良く分かっていたので、彼としては最大限の礼を尽くしたつもりで微妙な笑みを浮かべているのだ。

「暇なら積荷を見てきてくれんか。」
「了解しました。」
「殆ど船にも乗ったことがない連中だからなぁ。」
「覚悟して行きます。」
「そうしてくれ。釣られて酔うなよ。」

艦長は笑っていたが「積荷」は冗談で済まない状況になっていそうだった。彼らに割り当てられた「積荷」は脱出する陸軍部隊の砲や車両より余程重要なものだった。失われたからと言ってすぐに作れるものではないし、その人的、経済的コストも想像以上に高くつく。それは人材と言う名の簡単には得難い品物だった。

「入ります。ブルーノ・ヨハンソン主計中尉です。」

積荷は空いていた船員室に詰め込まれていた。ドアをノックしてから開け、形式に則った敬礼をすると床に転がっていた若者達が慌てて立ち上がり敬礼を返した。ヨハンソンのそれとは異なる陸軍式のものだった。嘔吐物の臭気に満ちた部屋に詰め込まれていたのは60人の陸軍士官候補生だった。しかもこの春には少尉に任官する二年生である彼らは、もう既に陸軍将校の気持ちなのか船酔いで苦しい中だろうに気丈に立ち続けている。暫くは大丈夫だろう。自らも一年半前は船酔いで苦しんだ経験があるヨハンソンは思ったほど酷い状態になっていなかったことに感心しつつ彼らを座らせた。或いは戦争状態が彼らを安心して酔わせすらしないのかもしれないなとも思った。

窓の外から大陸北部の海岸線が見えた。候補生たちもヨハンソン自身も皆、あの海岸線からそう遠くない土地で生まれ育った。そしてこれから向かうのは、この海と陸との距離に比べて何倍も遠い南の陸地である。彼らも自分も戦わなくてはならない。戦わないことには自分の生まれ育った土地へ帰ることは叶わない。
厳しい戦いになるだろうなと思いつつ、彼らは何も言えないまま故郷の海岸を眺めていた。

この時、今後20年に渡って故郷の土を踏めないなどと誰が思っていただろう。



あとがき

ちょっと開戦時の話を。海軍の影薄すぎたので。苦笑
地上軍や連邦軍の「隊(=師団の上位単位)」は軍用航空機メーカーの名前から取っています。ユンカースがドイツのメーカーだったので、グラマン(米)とかハインケル(独)とか。今回のヴォアゾンはフランスの古いメーカー。
船の名前は「エーリンク」ですが、これの元はなんだっけなぁ?
語感で決めただけじゃないと思うんだけど。

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