気付いたら23歳(遠い目
・大蔵健吾(ディム)・・・三年、主将、四番で遊撃。・岸田司(カーレル)・・・三年、三番で捕手。
・岸田純(ハロルド)・・・三年、速球派のエースピッチャー。
「明日はオフだから、ゆっくり休め。」
深夜0時、彼の宿舎の部屋のドアをノックした。ミーティングでは既に知らせてあるが、彼とは予定や方針などの確認をすることもあるから習慣として。
「いつもありがとう。」
寝ているかもと思ったが、ちゃんと中から声がして、次に足音がした。きっと、ドアの前まで来ているのだろう。元気がある声には聞こえなかった。
「元気な奴は、ちょっと遊びに行かせる。」
「ええ。気分転換が必要でしょうから。」
「夜のニュースに出てたよ、今日の試合。」
「・・・・・・・・。」
「岸田、大蔵の連打で粘り勝ち、って。」
「そうですか。それは・・・良かった。」
彼の声がまた一段と沈むのが分かった。良かったようには聞こえない。彼と私のヒットで勝利を得たと言うのに。今日の試合、優勝候補の一つと目される高校との試合で苦しい勝利だった。敬遠でプロ注目の四番を封じ、盗塁とバントで疲れが見え始めた大会屈指の右腕を揺さぶり、どうにか二点を挙げた。こちらのヒットは三本だけ、三振11個。相手の打線は12安打しながら1得点に終わった。
「純の奴、今日の試合は相当気に入らなかったらしい。」
「すみません。世話をかけます。」
「打たれたからなぁ。校歌歌わずに帰るかと思ったよ。」
慣れない冗談を言うと中で微かに笑い声がした。彼が敬遠のサインを出した時、純の苛立ちっぷりは尋常じゃなかった。勿論、乗り気でないのは彼も同じだが試合中の彼は決してそんな様子を見せないし、有効だと考えられる作戦を選択しない理由もない。ショートから見ていても、ブーイングに耐えつつ平然と敬遠を選択する彼の態度からは迷いの欠片も感じなかった。こうして彼と二人きりで言葉を交わすまで、こんなに元気がないとは思っていなかった。
「でも、良く投げ切ってくれた。やっぱりエースだよ。」
「そう言って貰えると助かります。」
「好みの作戦かどうかで、態度が変わるのは難点だが。」
「すみません。あれで、なかなかロマンチストなので。」
「そこはお前と同じだな。」
「・・・・・・・・・・・・。」
ロマンチスト、と言う表現は言い得て妙かもしれない。彼らが歓迎出来る試合は力と力の真っ向勝負なのだろう。ただ、残念な事にうちのチームにそんな余裕はない。投手は純一人に頼り切りで、守備もそこまで高い水準にある訳でもない。打線も彼と私の三、四番でどうにか点を取っている。それでも、どうにか掴んだ甲子園。一試合でも多く戦いたいと私も彼も皆も思ったから、どんな形であっても勝つ事を目指した。
純はキャッチャーからサインを受ける立場として不満を態度に示したが、自分の役割を全うした。一方の彼は冷静に戦況を分析し、その理想の野球から離れることを決断をした。データと明晰な頭脳に裏打ちされた強気のリードが信条の彼にとって、これは辛い決断だっただろう。
「良く決めてくれた。」
「・・・お見通しですか。」
「主将だぞ?少しはお前達の事を知っているつもりだ。」
「・・・・・ありがとう。」
さっきまでより元気が出たような声が返ってきた。彼らとは中学時代から一緒にやっている。同じチームではなかったが、監督同士が親しく何度も練習試合をした。県下ベスト8が最高戦績の公立校で再会し、一緒に甲子園へ行く事を夢見て野球部を引っ張ってきた。支え合ってきた私達三人は最も大切な仲間だ。最後の夏、少しでも長く一緒に戦いたいと改めて思う。
その時、彼が「でも」と口を開いた。いつの間にか、いつも通りの意味深な口調に戻っていた。
「少しは、じゃないでしょう?」
「え?」
「あと、お前達なんて都合良く括らない。」
「いや、それは・・・。」
「私の事、少し所じゃなく知っているでしょう?」
「えーと、その・・・。」
「違います?」
「・・・・・・・違いません。」
「ごめんなさいは?」
「・・・ごめんなさい。」
急に元気を出した彼は、私の言葉尻を捕まえて言い包める。「少しは」と言ったのも「お前達」と括ったのも、それは勿論、照れの為なのだが、彼はそれを許してはくれない。
「上がって下さい。」
ドアが開いて彼と顔を合わせた。二人きりで会うのは久しぶりな気がして、何となく彼の顔を見られたことで安心したような気持ちになる。彼も同じ事を思ったのか穏やかな表情になる。勧められるまま部屋に上がって、ベッドに座った。宿舎の狭い部屋だが、彼らしく良く片付いていた。
「コーヒー、止めてないのか?」
机の上の缶を私は見逃さなかった。彼は「見つかってしまいましたか」と苦笑する。カフェイン中毒と言われる位、コーヒーばかり飲んでいる彼だが、以前胃炎を患ってからは悪化を防ぐ為にコーヒーを抑えるようにしている。
「久しぶりに飲んだんですよ。」
「眠れなくなるぞ。」
「眠りたくなかったんですよ。」
彼は私の隣に躊躇無く腰掛けた。私が端に寄っているから辛うじて隙間が空く。狭い部屋の小さなベッドではあるものの人が二人でくっつき合わなければならないほど狭くはないはず。しかし、僅かボール一個分程の間隔を置いて彼は隣に居る。
「なかなか貴方が来なかったから。」
彼は表情無く目の前の壁を見詰めていたが、一瞬こちらを窺った。困った。この空気は何と言うか居辛い。
「分かっている癖に。」
彼が視線を他所に外しながら膨れて見せた。確信を持っていたかは別として、その考えが浮かばなかったと言えば嘘になる。午前0時まで寝ずに私を待っていた彼が焦れてコーヒーを飲み始める様子が頭を過った。
「私は多分、貴方が想像した通りの人間なんです。だから。」
「だから?」
「もっと自惚れて貰わなきゃ困ります。」
「・・・・・・・・・・・。」
「私の悩みなんて、大体は貴方が解決できる物なんですから。」
すっかり彼のペースに引き込まれてしまった私の頭はちゃんと働いてくれない。不意に彼が横に倒れ、私に寄りかかった。彼は瞳だけを動かして私の様子を窺っていた。
「敬遠なんかしたくなかった。ブーイングも辛かった。」
「分かってる。良く耐えてくれた。」
「勝ちたかったから仕方ないけれど、辛かった。」
「・・・そうだな。」
「でも、貴方が褒めてくれたから、もう大丈夫。」
「本当に?」
「単純な人間なんです。こう見えて。」
私が想像した通りの人間だと言うから、きっとこうして欲しいのだろうと想像して彼の頭を優しく撫でた。でも恥ずかしい事には変わりなく、彼の顔は良く見られなかった。「良く分かってる」と彼は笑った。
「今、私が何を考えてると思いますか?」
「抽象的過ぎないか?」
「質問された瞬間、貴方が想像した事が正解ですよ。」
「え・・・・んー。」
「嘘を言ったら怒りますよ。」
「いや、その・・・。」
「早く。」
「その・・・私の事が、好き、とか・・・・・。」
「正解。」
首筋に彼の腕が回る。あ、これは多分、と思った時には想像通り唇が重なる。瞼を下ろすのが遅れて、彼の綺麗な瞳としっかり目が合ってしまった。目を逸らし損なって見詰め合ってしまうと、彼は唇からも私の目からも離れてくれない。
きっと唇が離れたら「次は何を考えているでしょう?」などと詰問される事だろうから、抵抗するのは止めようと思って、彼が望んでいると思う通りに私に寄り掛かる彼の細い身体をきつく抱き締めた。
<了>
・岸田純(ハロルド)・・・三年、速球派のエースピッチャー。
「明日はオフだから、ゆっくり休め。」
深夜0時、彼の宿舎の部屋のドアをノックした。ミーティングでは既に知らせてあるが、彼とは予定や方針などの確認をすることもあるから習慣として。
「いつもありがとう。」
寝ているかもと思ったが、ちゃんと中から声がして、次に足音がした。きっと、ドアの前まで来ているのだろう。元気がある声には聞こえなかった。
「元気な奴は、ちょっと遊びに行かせる。」
「ええ。気分転換が必要でしょうから。」
「夜のニュースに出てたよ、今日の試合。」
「・・・・・・・・。」
「岸田、大蔵の連打で粘り勝ち、って。」
「そうですか。それは・・・良かった。」
彼の声がまた一段と沈むのが分かった。良かったようには聞こえない。彼と私のヒットで勝利を得たと言うのに。今日の試合、優勝候補の一つと目される高校との試合で苦しい勝利だった。敬遠でプロ注目の四番を封じ、盗塁とバントで疲れが見え始めた大会屈指の右腕を揺さぶり、どうにか二点を挙げた。こちらのヒットは三本だけ、三振11個。相手の打線は12安打しながら1得点に終わった。
「純の奴、今日の試合は相当気に入らなかったらしい。」
「すみません。世話をかけます。」
「打たれたからなぁ。校歌歌わずに帰るかと思ったよ。」
慣れない冗談を言うと中で微かに笑い声がした。彼が敬遠のサインを出した時、純の苛立ちっぷりは尋常じゃなかった。勿論、乗り気でないのは彼も同じだが試合中の彼は決してそんな様子を見せないし、有効だと考えられる作戦を選択しない理由もない。ショートから見ていても、ブーイングに耐えつつ平然と敬遠を選択する彼の態度からは迷いの欠片も感じなかった。こうして彼と二人きりで言葉を交わすまで、こんなに元気がないとは思っていなかった。
「でも、良く投げ切ってくれた。やっぱりエースだよ。」
「そう言って貰えると助かります。」
「好みの作戦かどうかで、態度が変わるのは難点だが。」
「すみません。あれで、なかなかロマンチストなので。」
「そこはお前と同じだな。」
「・・・・・・・・・・・・。」
ロマンチスト、と言う表現は言い得て妙かもしれない。彼らが歓迎出来る試合は力と力の真っ向勝負なのだろう。ただ、残念な事にうちのチームにそんな余裕はない。投手は純一人に頼り切りで、守備もそこまで高い水準にある訳でもない。打線も彼と私の三、四番でどうにか点を取っている。それでも、どうにか掴んだ甲子園。一試合でも多く戦いたいと私も彼も皆も思ったから、どんな形であっても勝つ事を目指した。
純はキャッチャーからサインを受ける立場として不満を態度に示したが、自分の役割を全うした。一方の彼は冷静に戦況を分析し、その理想の野球から離れることを決断をした。データと明晰な頭脳に裏打ちされた強気のリードが信条の彼にとって、これは辛い決断だっただろう。
「良く決めてくれた。」
「・・・お見通しですか。」
「主将だぞ?少しはお前達の事を知っているつもりだ。」
「・・・・・ありがとう。」
さっきまでより元気が出たような声が返ってきた。彼らとは中学時代から一緒にやっている。同じチームではなかったが、監督同士が親しく何度も練習試合をした。県下ベスト8が最高戦績の公立校で再会し、一緒に甲子園へ行く事を夢見て野球部を引っ張ってきた。支え合ってきた私達三人は最も大切な仲間だ。最後の夏、少しでも長く一緒に戦いたいと改めて思う。
その時、彼が「でも」と口を開いた。いつの間にか、いつも通りの意味深な口調に戻っていた。
「少しは、じゃないでしょう?」
「え?」
「あと、お前達なんて都合良く括らない。」
「いや、それは・・・。」
「私の事、少し所じゃなく知っているでしょう?」
「えーと、その・・・。」
「違います?」
「・・・・・・・違いません。」
「ごめんなさいは?」
「・・・ごめんなさい。」
急に元気を出した彼は、私の言葉尻を捕まえて言い包める。「少しは」と言ったのも「お前達」と括ったのも、それは勿論、照れの為なのだが、彼はそれを許してはくれない。
「上がって下さい。」
ドアが開いて彼と顔を合わせた。二人きりで会うのは久しぶりな気がして、何となく彼の顔を見られたことで安心したような気持ちになる。彼も同じ事を思ったのか穏やかな表情になる。勧められるまま部屋に上がって、ベッドに座った。宿舎の狭い部屋だが、彼らしく良く片付いていた。
「コーヒー、止めてないのか?」
机の上の缶を私は見逃さなかった。彼は「見つかってしまいましたか」と苦笑する。カフェイン中毒と言われる位、コーヒーばかり飲んでいる彼だが、以前胃炎を患ってからは悪化を防ぐ為にコーヒーを抑えるようにしている。
「久しぶりに飲んだんですよ。」
「眠れなくなるぞ。」
「眠りたくなかったんですよ。」
彼は私の隣に躊躇無く腰掛けた。私が端に寄っているから辛うじて隙間が空く。狭い部屋の小さなベッドではあるものの人が二人でくっつき合わなければならないほど狭くはないはず。しかし、僅かボール一個分程の間隔を置いて彼は隣に居る。
「なかなか貴方が来なかったから。」
彼は表情無く目の前の壁を見詰めていたが、一瞬こちらを窺った。困った。この空気は何と言うか居辛い。
「分かっている癖に。」
彼が視線を他所に外しながら膨れて見せた。確信を持っていたかは別として、その考えが浮かばなかったと言えば嘘になる。午前0時まで寝ずに私を待っていた彼が焦れてコーヒーを飲み始める様子が頭を過った。
「私は多分、貴方が想像した通りの人間なんです。だから。」
「だから?」
「もっと自惚れて貰わなきゃ困ります。」
「・・・・・・・・・・・。」
「私の悩みなんて、大体は貴方が解決できる物なんですから。」
すっかり彼のペースに引き込まれてしまった私の頭はちゃんと働いてくれない。不意に彼が横に倒れ、私に寄りかかった。彼は瞳だけを動かして私の様子を窺っていた。
「敬遠なんかしたくなかった。ブーイングも辛かった。」
「分かってる。良く耐えてくれた。」
「勝ちたかったから仕方ないけれど、辛かった。」
「・・・そうだな。」
「でも、貴方が褒めてくれたから、もう大丈夫。」
「本当に?」
「単純な人間なんです。こう見えて。」
私が想像した通りの人間だと言うから、きっとこうして欲しいのだろうと想像して彼の頭を優しく撫でた。でも恥ずかしい事には変わりなく、彼の顔は良く見られなかった。「良く分かってる」と彼は笑った。
「今、私が何を考えてると思いますか?」
「抽象的過ぎないか?」
「質問された瞬間、貴方が想像した事が正解ですよ。」
「え・・・・んー。」
「嘘を言ったら怒りますよ。」
「いや、その・・・。」
「早く。」
「その・・・私の事が、好き、とか・・・・・。」
「正解。」
首筋に彼の腕が回る。あ、これは多分、と思った時には想像通り唇が重なる。瞼を下ろすのが遅れて、彼の綺麗な瞳としっかり目が合ってしまった。目を逸らし損なって見詰め合ってしまうと、彼は唇からも私の目からも離れてくれない。
きっと唇が離れたら「次は何を考えているでしょう?」などと詰問される事だろうから、抵抗するのは止めようと思って、彼が望んでいると思う通りに私に寄り掛かる彼の細い身体をきつく抱き締めた。
<了>
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