気付いたら23歳(遠い目
彼と会ったのは5年ぶりだったと思う。リトラー司令の国連議長就任式で一度会ったきりだから、8年前に彼が軍を辞めてから殆ど顔を合わせていなかった。お互いが忙しかったのも理由の一つかもしれないが、戦中に比べれば余裕はあったし、戦後処理が大体片付いてからは時間を作ろうと思えば作れた筈だった。多分、一番の理由は彼と私には会う理由が無かったのだ。
元々、特に親しかった訳ではない。いや、別に互いに悪い感情は持っていなかったと思うのだけれど、何となく親しくなりにくかったのだ。天才科学者と言われながら戦場では猛将ぶりを見せる彼の存在は部下として頼もしかったし、親近感を持っていた。でも、私と彼は親しくならなかった。彼にとって私は兄の恋人であり、私にとって彼は恋人の弟だった。その一事が彼と私の個人的な付き合いの希薄さを生んでいた。ただの上官と部下或いは戦友でなかったことが何となく遠慮を存在させていた。私と彼の兄の間の会話には、良く彼が出てきた。彼と彼の兄の間の会話にも良く私が出てきたことだろう。親しくなる前に、お互いを知り過ぎていたのかもしれない。
そんな彼と私が久しぶりに会うことになった。当時の私は北サマラ共和国の国防軍で軍団長をしていたのだが、そこのオフィスに電報が届いた。彼らしく簡潔な文面で、彼が旧ダーラナ州オーシャ共和国のNGOに参加していること、リトラー司令が相変わらず忙しく元気でいること、彼の兄の誕生日に墓参りをしないかということが書かれていた。命日ならともかく誕生日に墓参りと言うのは妙に思えるかもしれないが、彼の命日は終戦記念日と重なっていて色々と騒がしいのだ。しかも、今年は終戦10年目に当たり、様々なセレモニーも準備されていると聞く。彼の判断は賢明と言えそうだった。私は秘書官にスケジュールの調整を頼んで、すぐ返事を出した。
電報を読んだ日から誕生日までは5ヶ月もあったが、あっと言う間だった。仕事は20年来の付き合いになる優秀な副官に任せて、私は地上軍の中央司令部だった場所へ向かった。今は博物館と戦死者慰霊施設になっていて、殆ど当時の面影はない。つい10年前だと言うのにひどく遠い昔に思えた。尤も、彼の方は変わっていなかった。墓地の中で私を見つけた時も、感情の薄い表情の中で細い眉と瞼だけが微かに動いていた。
「久しぶりだな。」
「ああ。」
眩しそうに彼は目を細めた。兄にそっくりの大きな紫色の瞳が隠れる。双子の兄弟だったから、彼も今日で33になっているはずだった。元々年齢不詳の兄弟だったから彼の変化が少ないのも別に不思議には思わなかった。反面、私はもう40近くなり、あの頃とは大分変わったことだろう。先程見せた、彼の僅かな表情の変化が私の中で流れた時間に対する驚きだったことは聞かなくとも分かった。
彼の墓の前で、何故だか私達は妙にお互いのことを良く喋った。彼は今、地雷除去の活動に技術協力をしていること。その前は大学の研究所にいたこと。結婚して1歳になる息子がいるという話を聞いた時は流石に驚いた。彼の生活は10年前とは全く異なるものになっていて、それは私にとって大きな落差に感じられた。私は相変わらず軍人をしていること、相変わらず優秀な副官に助けられていること、相変わらず独り身でいること、何を話しても相変わらずなことしか出てこなかった。変わったのは見た目だけだった。
「兄貴に操立て?」
私が独身でいることを彼が茶化した。そんなつもりはなかったが、何となく恋愛に気持ちが向かなかった。戦争が終わって、随分気持ちが老け込んだのかもしれない。でも、言われてみればそうなのかも知れない。何となく恋愛の匂いがすると、すぐに彼の兄の顔が浮かんで気持ちが萎えてしまっていた。彼の兄以上の人とは巡り合わないだろうなと言う諦観もあった。彼は、兄が私の子供の顔を見たがるだろうと言うようなことを口にした。暗に結婚しろと言われて困惑し、そんなことは考えてもみなかったなと笑った。結局言われたところで考えもしなかった。私の表情からそれを察したのか、彼も話題を変えた。他愛のない話を沢山した後、私達は別れた。
帰路、思っていたよりもずっと気を遣う人間だった彼に思いを馳せた。やはり、私が兄の恋人だからだろうか。それが何となく寂しく、やっぱり私達は親しくなりようがないのだなと思った。別れ際に息子の顔を見に来るようにと繰り返し言われたが、きっと私は彼を訪ねることはないだろう。
彼の息子は彼よりも彼の兄に良く似ているのだそうだ。
元々、特に親しかった訳ではない。いや、別に互いに悪い感情は持っていなかったと思うのだけれど、何となく親しくなりにくかったのだ。天才科学者と言われながら戦場では猛将ぶりを見せる彼の存在は部下として頼もしかったし、親近感を持っていた。でも、私と彼は親しくならなかった。彼にとって私は兄の恋人であり、私にとって彼は恋人の弟だった。その一事が彼と私の個人的な付き合いの希薄さを生んでいた。ただの上官と部下或いは戦友でなかったことが何となく遠慮を存在させていた。私と彼の兄の間の会話には、良く彼が出てきた。彼と彼の兄の間の会話にも良く私が出てきたことだろう。親しくなる前に、お互いを知り過ぎていたのかもしれない。
そんな彼と私が久しぶりに会うことになった。当時の私は北サマラ共和国の国防軍で軍団長をしていたのだが、そこのオフィスに電報が届いた。彼らしく簡潔な文面で、彼が旧ダーラナ州オーシャ共和国のNGOに参加していること、リトラー司令が相変わらず忙しく元気でいること、彼の兄の誕生日に墓参りをしないかということが書かれていた。命日ならともかく誕生日に墓参りと言うのは妙に思えるかもしれないが、彼の命日は終戦記念日と重なっていて色々と騒がしいのだ。しかも、今年は終戦10年目に当たり、様々なセレモニーも準備されていると聞く。彼の判断は賢明と言えそうだった。私は秘書官にスケジュールの調整を頼んで、すぐ返事を出した。
電報を読んだ日から誕生日までは5ヶ月もあったが、あっと言う間だった。仕事は20年来の付き合いになる優秀な副官に任せて、私は地上軍の中央司令部だった場所へ向かった。今は博物館と戦死者慰霊施設になっていて、殆ど当時の面影はない。つい10年前だと言うのにひどく遠い昔に思えた。尤も、彼の方は変わっていなかった。墓地の中で私を見つけた時も、感情の薄い表情の中で細い眉と瞼だけが微かに動いていた。
「久しぶりだな。」
「ああ。」
眩しそうに彼は目を細めた。兄にそっくりの大きな紫色の瞳が隠れる。双子の兄弟だったから、彼も今日で33になっているはずだった。元々年齢不詳の兄弟だったから彼の変化が少ないのも別に不思議には思わなかった。反面、私はもう40近くなり、あの頃とは大分変わったことだろう。先程見せた、彼の僅かな表情の変化が私の中で流れた時間に対する驚きだったことは聞かなくとも分かった。
彼の墓の前で、何故だか私達は妙にお互いのことを良く喋った。彼は今、地雷除去の活動に技術協力をしていること。その前は大学の研究所にいたこと。結婚して1歳になる息子がいるという話を聞いた時は流石に驚いた。彼の生活は10年前とは全く異なるものになっていて、それは私にとって大きな落差に感じられた。私は相変わらず軍人をしていること、相変わらず優秀な副官に助けられていること、相変わらず独り身でいること、何を話しても相変わらずなことしか出てこなかった。変わったのは見た目だけだった。
「兄貴に操立て?」
私が独身でいることを彼が茶化した。そんなつもりはなかったが、何となく恋愛に気持ちが向かなかった。戦争が終わって、随分気持ちが老け込んだのかもしれない。でも、言われてみればそうなのかも知れない。何となく恋愛の匂いがすると、すぐに彼の兄の顔が浮かんで気持ちが萎えてしまっていた。彼の兄以上の人とは巡り合わないだろうなと言う諦観もあった。彼は、兄が私の子供の顔を見たがるだろうと言うようなことを口にした。暗に結婚しろと言われて困惑し、そんなことは考えてもみなかったなと笑った。結局言われたところで考えもしなかった。私の表情からそれを察したのか、彼も話題を変えた。他愛のない話を沢山した後、私達は別れた。
帰路、思っていたよりもずっと気を遣う人間だった彼に思いを馳せた。やはり、私が兄の恋人だからだろうか。それが何となく寂しく、やっぱり私達は親しくなりようがないのだなと思った。別れ際に息子の顔を見に来るようにと繰り返し言われたが、きっと私は彼を訪ねることはないだろう。
彼の息子は彼よりも彼の兄に良く似ているのだそうだ。
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